カテゴリー「名語録集」の11件の記事

2006年6月30日 (金曜日)

これいい言葉

「まったく笑わなかったその日1日は、無駄に過ごした1日だ」

チャールズ・チャップリン

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2006年6月 6日 (火曜日)

しびれる言葉 by Osim

「おだやかな生活を送りすぎてはいないか?

サポーターはまだ拍手をくれるが、もうそんな状況ではない。

終わったことは変えられないが、未来は変えられる。

自分たちのプレーに責任を持たなくてはいけない」

「やったことが返ってくるのが人生というもの。

もっと走るべきだし、タイトにプレーすべきだ。

全てが返ってくるのだからやらなくてはいけない」

「ボード上で示すことは簡単だが、グラウンドではこう簡単にはいかない。

選手同士、話し合って解決をすること」

「GKはミスしたと簡単にいうが、そういった目で見られるとGKも厳しい。

GKがミスをせずに全部止めていたら、たぶん、彼はアーセナルにいるでしょう」

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2006年4月23日 (日曜日)

オシム監督名語録

★「巻(誠一郎)には何もいうことはない。巻はジダンになれない。だけど、ジダンにないものを持っている。」

★「GKはミスしたと簡単にいうが、そういった目で見られるとGKも厳しい。GKがミスをせずに全部止めていたら、たぶん、彼はアーセナルにいるでしょう。」

★「崔龍洙やサンドロがいなくなってジェフが変わってしまうのなら、それは本当のチームとはいえない。」

Q.仙台戦後の会見にて、2得点した佐藤勇人の評価を聞かれ

★「2点をとったのは佐藤でも勇人でもなく、ジェフというチームが挙げたものだ。私はそう考えている。」

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2006年4月22日 (土曜日)

名言集・限界編

★古沼貞雄(帝京高校サッカー部監督)

「人には限界なんてないんだよ。限界を知った時にサッカーは辞めるしかない。」

★イビツァ・オシム(ジェフユナイテッド市原・千葉監督)

「限界には、限界はありません。限界の定義は何だと思いますか?限界とは、個々の目標で、限界を超えれば次の限界が生まれるのです。」

★モハメド・アリ

「不可能」とは、自分の力で世界を切り拓く事を放棄した、臆病者の言葉だ。「不可能」とは、現状に甘んじるための言い訳にしかすぎない。「不可能」とは事実ですらなく、単なる先入観だ。「不可能」とは、誰かに決め付けられる事ではない。「不可能」とは、可能性だ。「不可能」なんて、ありえない。

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2006年4月19日 (水曜日)

名語録

ジネディーヌ・ジダン

「フェイントは相手を抜く為じゃ無い。ゴールまでの選択肢を増やす為だ。」

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2006年4月16日 (日曜日)

オシム語録

4/3 東京ヴェルディ戦後の記者会見で

Q2点とったあと、どのようにゲームを運べばよかったのか。

A「2-0の時点で審判に『試合を止めてください』と言えば良いんじゃないかな」

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2006年4月15日 (土曜日)

名語録①

「過ぎ去った事を気にする必要は無い。ただその過去に起こった事のあとに、その時にどうすればよかったかを知る事、それが経験だ」

イビツァ・オシム

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2006年4月 2日 (日曜日)

感動話④いいはなし

広島市の女子高校生のA子さんは,小児マヒが原因で足が悪い女の子でした。

A子さんが通う高校では、毎年7月のプール解禁日にクラス対抗百メートル水泳リレー大会をしています。男女二名ずつがそれぞれ25メートル泳ぐ競技です。A子さんのクラスでこの大会の出場選手を決めていた時、女子一名がどうしても決まりませんでした。

早く帰りたいクラスのボスは「A子はこの三年間、体育祭、水泳大会に一度も出ていない。最後の三年目なんだから、お前が参加しろ」といじわるなことを言い出しました。A子さんは誰かが味方すると思ったけれど、女生徒は何か言えば自分が泳がされると思い、みんな口をつぐんでいます。男子生徒もボスのグループに憎まれたくないから、何も言いませんでした。そして、結局泳げないA子さんが選手になったのです。

彼女は家に帰り、お母さんに泣きながら訴えました。するとお母さんは「お前は来春就職して、その会社で何かできない仕事を言われたら、また泣いて私に相談するの?そしてお母さんがそのたびに会社に行って、うちの子にこんな仕事をさせないでくださいって言いに行くの?」そう言ってすごく怒り、A子さんを突き放しました。

A子さんは部屋で泣きはらし、25メートルを歩いて渡る決心をし、そのことをお母さんに告げに行きました。するとお母さんは仏間で「A子を強い子に育ててください」と、必死に仏壇に向かって祈っていました。

水泳大会の日、水中を歩くA子さんを見て、まわりから笑い声やひやかしの声が響きました。彼女がやっとプールの中ほどまで進んだその時、一人の男の人が背広を着たままでプールに飛び込み、A子さんの隣のコースを一緒に歩き始めたのです。

高校の校長先生でした。

「何分かかってもいい、先生が一緒に歩いてあげるから、ゴールまで歩きなさい。恥ずかしいことじゃない、自分の足で歩きなさい」そういって励ましてくれたのです。

一瞬にしてひやかしや笑い声は消え、みんなが声を出して彼女を応援し始めました。長い時間をかけて彼女が25メートルを歩き終わった時、友達も先生も、そしてあのボスのグループもみんな泣いていました。

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感動話③いいはなし

ある女の先生が5年生の担任になった時、一人、服装が不潔でだらしなく、どうしても好きになれない少年がいた。中間記録に先生は少年の悪い所ばかりを記入するようになっていた。  

ある時、少年の1年生からの記録が目に止まった。「朗らかで、友達が好きで、人にも親切。勉強もよくでき、将来が楽しみ」とある。

間違いだ。

他の子の記録に違いない。先生はそう思った。

2年生になると、「母親が病気で世話をしなければならず、時々遅刻する」と、書かれていた。

3年生では、「母親の病気が悪くなり、疲れていて教室で居眠りする。」

後半の記録には「母親が死亡。希望を失い、悲しんでいる。」とあり、4年生になると、「父は生きる意欲を失い、アルコール依存症となり、子どもに暴力をふるう。」  

先生の胸に激しい痛みが走った。ダメと決めつけていた子が突然、深い悲しみを生き抜いている生身の人間として自分の前に立ち現れてきたのだ。先生にとって目を開かれた瞬間であった。

放課後、先生は少年に声をかけた。「先生は夕方まで教室で仕事をするから、あなたも勉強していかない?分らないところは教えてあげるから。」少年は初めて笑顔を見せた。

それから毎日、少年は教室の自分の机で予習復習を熱心に続けた。授業で少年が始めて手をあげた時、先生に大きな喜びがわき起こった。少年は自信を持ち始めていた。クリスマスの午後だった。少年が小さな包みを先生の胸に押しつけてきた。

あとで開けてみると、香水のビンだった。亡くなったお母さんが使っていたものに違いない。先生はその一滴をつけ、夕暮れに少年の家を訪ねた。雑然とした部屋で独り本を読んでいた少年は、気がつくと飛んできて、先生の胸に顔を埋めて叫んだ。「ああ、お母さんの匂い!今日は最高のクリスマスだ」  

6年生で先生は少年の担任ではなくなった。卒業の時、先生に少年から1枚のカードが届いた。「先生は僕のお母さんのようです。そして今まで出会った中で一番素晴らしい先生でした。」  

それから6年。またカードが届いた。「明日は高校の卒業式です。僕は5年生で先生に担当してもらって、とても幸せでした。おかげで奨学金をもらって医学部に進学することができます。」

10年を経て、またカードが来た。そこには先生と出会えたことへの感謝と父親に叩かれた体験があるから患者の痛みが分る医者になれると記され、こう締めくくられていた。

「僕はよく5年生の時の先生を思い出します。あのままだめになってしまう僕を救ってくださった先生を神様のように感じます。おとなになり、医者になった僕にとって最高の先生は、5年生の時に担任してくださった先生です」  

そして1年。届いたカードは結婚式の招待状だった。「母の席に座ってください」と一行、書き添えられていた。

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2006年3月30日 (木曜日)

感動話②絶対見れ

トマソン、彼の優しき一面をもう一つ語りたい

それはある握手会でのことである

デンマークというチームは前述したように練習を公開し、和歌山県民との交流を積極的に行った
練習後は地元サッカー少年たちとミニサッカーを行い
握手会、サイン会もたびたび行った

そのひとコマの話である


あの日も、いつものごとくサイン会が行われた
気さくなデンマークの選手たちを県民も大好きになった

あの日もデンマーク選手たちのサインを求め長蛇の列が出来上がっていた
気軽にサインをするデンマーク選手たち
もちろんトマソンもその中にいた

その最中のことである

トマソンの前にある少年が立った

彼はトマソンの前に立ちつつも・・・少しモジモジしていた

後ろに立っていた母親らしき人が彼を促す
「ほら!早くしなさい!」と彼に言っていた

トマソンも少し「変だな」と思ったのでしょう
通訳を通じ「どうしたの?」と彼に聞いた

意を決した少年はポケットから一枚の紙切れを出し、トマソン選手に渡した
それは学校の英語の先生に書いてもらったものだという
英語で書いた、その紙切れにはこう書いてあった



「ボクは小さいころに、病気にかかって
 口と耳が不自由です・・・耳は聞こえません、話せません・・・
 だけどサッカーだけはずっと見てきました、大好きです
 デンマークのサンド選手とトマソン選手が好きです
 頑張ってください」
と・・・



その手紙に通訳も・・・その場にいた我々記者も驚いた
言葉が出なかった・・・


だが、トマソン選手はニッコリと微笑み少年に・・・
「それなら君は手話はできますか?」と・・・


手話で語りかけた

その『言葉』に驚く少年と母親

再度聞くトマソン・・・

「手話はわかりませんか?」と・・・

それを見ていたある記者はトマソンに英語で言った

「ミスタートマソン、手話は言語と同じで各国で違うんですよ」と彼に言った

手話を万国共通と思う人が多いのだが国によって違う、
ましてや日本国内でも地方によって違う

「そうだったのか・・・」という顔をしたトマソン

そして彼は通訳にこう言った

「ボクは彼と紙で、文字を通して話をしたいのですが手伝ってください」と言った
微笑んで「わかりました」と答える通訳

トマソンは「後ろの人たちにも彼と話す時間をボクにくださいと言っておいてください」とも言った

後ろで順番を待つ人たちは何も文句を言わなかった・・・一言も文句を言わなかった・・・
彼らに「2人の時間」をあげたいと他の人たちも思ったのでしょう

そして通訳を介し、少年とトマソンの『会話』が始まった


「君はサッカーが好きですか?」

「はい。大好きです」

「そうですか。デンマークを応援してくださいね」

「はい。あの聞いていいですか」

「いいですよ。何でも聞いてください」

「トマソン選手はどうして手話ができるんですか?正直、ビックリしました」



この少年の質問に彼は答える


「ボクにも君と同じ試練を持っている姉がいます
 その彼女のためにボクは手話を覚えたんですよ」
と・・・

その彼の言葉をじっくりと読む少年
そしてトマソンは少年に言った

「君の試練はあなたにとって辛いことだと思いますが
 君と同じようにあなたの家族も、その試練を共有しています
 君は一人ぼっちじゃないという事を理解していますか?」


この言葉に黙ってうなずく少年

「わかっているなら、オーケー!
 誰にも辛いことはあります。君にもボクにも
 そして君のお母さんにも辛いことはあるのです
 それを乗り越える勇気を持ってください」
とトマソンは言った

このやり取りに涙が止まらない母親

この光景を見ていた記者も涙した
その場にいた人たち、その2人を見ていた人たちも涙した

そして、トマソンは最後に少年にこう言った

「ボクは今大会で1点は必ず獲ります
 その姿を見て、君がこれからの人生を頑張れるように
 ボクは祈っておきます」


この言葉に・・・この少年は初めて笑顔を浮かべた

「はい!応援しますから、頑張ってください」と少年は言った
 そして、サインをもらい、その場をあとにする少年と母親

取材に母親は目に涙を浮かべて言った

「あんなことされたらデンマークを応援しないわけにはいかないですよ
 日本と試合することになっても、私らはデンマークを応援しますよ」

涙を流し、笑いながら言った・・・・



そして、このトマソン・・・少年との約束を守り、得点を決めた
1点どころか、彼は4得点という大活躍だった



1次リーグ、フランスという前回覇者と同組だったデンマーク
彼らをボクは応援した・・・

もちろん和歌山県民も応援に訪れた
試合が韓国であろうとも彼ら和歌山県民は応援に駆けつけた

オルセン監督は言った
「試合会場が韓国であっても、和歌山の応援はわかった
 あれが我々の力になった」
と・・・

和歌山県民の応援も実ったのであろう
フランスと同組のA組みながらデンマークは2勝1分け
見事1位通過を決めたのである

そして、向かえた決勝トーナメント1回戦
場所は新潟スタジアム、相手はあのイングランドであった

スタンドからは「ベッカム!!!!」という声が至るところから響いていた



「ダニッシュ・ダイナマイトで・・・にわかイングランドファンを黙らせろ!」
「ベッカムがなんぼのもんじゃ!頼むぞ!デンマーク」

だが・・・この応援も届かなかった
和歌山県民の想いも通じなかった

デンマークはイングランドに0-3という予想外のスコアで敗れてしまった
その日の和歌山県には雨が降ったという


県民の涙雨だったのかもしれない・・・・


負けはしたが、和歌山県民はデンマークというチームを誇りに思っていた
「よく頑張った!」「後は快く母国に帰ってもらおう!」という言葉が彼らの合言葉になった・・・

だから、彼らは行なった

デンマークお疲れさま!会なるものが宿泊先のホテルによって仕切られた
そこに駆けつける多数の県民
会場にはあふれんばかりの県民が駆けつけた

その催しに「ありがたいことだ」と言ったオルセン監督
もちろん選手たちも全員出席した。あのトマソンもその場にいた

そこでトマソンは見つけた・・・『あの少年』を見つけた

少年と母親もその会に出席していた
少年と母親の元に、通訳を携え近寄るトマソン
トマソンの姿に気づいた母親は頭を下げる
少年はトマソンへ笑顔を向ける

そして、トマソンは少年にこう語りかけた


「せっかく応援してくれたのに負けてゴメンね」と『紙』で語りかけた

これに少年は答える

「お疲れ様でした。負けたけどカッコよかったです
 それに約束どおり点獲ってくれたからボクは嬉しかったです」
と・・・・

「ありがとう」と言うトマソン

そして、この少年にトマソンは言った

「ボクから君に言える言葉はこれが最後です。よく聞いてください」

「はい」


「君には前にも言ったとおり、試練が与えられている
 それは神様が決めたことであり、今からは変えられない
 ボクが言いたいことわかりますか?」


「はい」

「神様は君に試練を与えたけど、君にも必ずゴールを決めるチャンスを
 神様はくれるはずです・・・
 そのチャンスを君は逃さず、ちゃんとゴールを決めてください」
とトマソンは言った

この言葉に少年は笑顔満面の顔でトマソンに「はい」と言った

そして2人は・・・

「さようなら」

「頑張って」


という言葉を残し彼らは別れを告げた

最後に2人は仲良く写真におさまった
飛びっきりの笑顔を浮かべファインダーにおさまる2人

この写真は少年の宝物になることだろう

トマソンに出会ったことによって少年は『前へ進む』に違いない・・・


小さな少年、心優しきトマソンに
これからも栄光あれ。

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