カテゴリー「経済・政治・国際」の9件の記事

2006年9月16日 (土曜日)

自己破壊的?日本の民主主義は難しい

きょうテレビで、『太田光の私が総理大臣になったら』を見てて、民主主義は難しいな、とつくづく思いました。

この番組を見たことがある人はわかると思うけど、「爆笑問題の太田光が扮する内閣総理大臣の元に、各界で活躍する著名人らが“議員”として集まり、「小さな政府」の臨時国会を開催するという設定で繰り広げられるトークバトル番組である。 日本の様々な社会問題を解決するために太田が掲げたマニフェスト(議員側がマニフェストを提示することもある)に対して、議員らが賛成・反対・保留の3つの立場に分かれトークバトルを繰り広げる。トークバトル終了後、議員らによってマニフェストの採決が行われ、可決か否決かを決める」

というような内容。

これを見てもわかるように、太田光は漫才師という立場ながらも政治について発言することができるし、議論を交わすことができる。これが民主主義の「俺にも意見を言わせろ!」っていう象徴的な番組でしょう。アメリカでも「陪審員」という裁判制度がありますが、これも同様。

ところが、やっぱり民主主義というのは人と人との関わりが共産主義よりも強いので(民主主義の対立概念だとは思わないけど)、「立場」「ステータス」といった外的な環境で言論の影響力が左右されることもある。

この番組でも、ゲストできた元政治家や、現政治家の人たちが太田に対して「所詮お前はお笑い芸人だろ!」といった態度でふんぞり返っている人たちもいないことはないですが、彼らの言いたいこともわからなくはない。

結局、民主主義っていうのは言論の自由が保障されているけども、それに伴う「義務」「責任」、様々な「弊害」というのが軽視されていると思うから。アメリカでは陪審員という裁判制度があるけど、これも「俺にも意見を言わせろ!」的制度であることは明白だ。しかし、陪審員が放つ発言一つひとつに、「責任」といった問題と隣りあわせになっているのだ。それだけ「覚悟」が必要なのかもしれない。

現在の日本でも陪審員制度を適用させるか議論されているそうだが、現状では難しいだろう。裁判官と一般国民との「乖離」をなくすため、といったような漠然とした理由だけでは、適用させるためのストロング・ポイントが弱いように思える。

話がそれた。。。

日本で民主主義が興隆し維新期を越え、デモクラシー期に入った頃、寺内正毅はこう発言している

「貧賤階級は、いわゆる一知半解の新思想に囚われ、分外の望みを抱く状態にある」 

貧賤階級=一般市民のことで、一知半解=断片的な知識のことだ。

つまり、一般市民はロクな知識もないくせに、偉そうに口を出すな、という意味だ。しかし、これ以上に重要な言葉がある。

それが「分外」という言葉だ。分外=身の程知らずという意味だが、分をわきまえろ!ということだ。

そうだ。これが一番重要なのでは。アメリカの陪審員にしろ、それなりの「覚悟」や「責任」を伴っていると思うが、それ以上に「分をわきまえ」た発言をしているからこそ、成功しているのではないだろうか。

だが、ここで大きな矛盾が生じてしまうのが難しいところ。

「分をわきまえろ」という言葉を盾に取り自○党などが言論統制などを始めてしまえば、それは民主主義とは言わず、独裁政権という。となると、こんどはその自○党の人たちが分をわきまえていないという無限ループ。

それゆえ、共謀罪なんかとも関係してると思うけど、日本では「白黒」の境界を引くのが本当に下手糞だ。とういうより、日本にはその文化がない。だから「脳死」の問題でも30年前に欧州で議論し尽くされたことを、今になって日本は議論している状態だ。

結局何が言いたいのかわからなっちゃったけど、こういう状態だと「民主主義が自己破壊してる」といってもいいと思う。

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2006年5月 1日 (月曜日)

ほ~これは面白い

2007年からKDDIが東京三菱UFJ銀行と提携を結び、モバイルネット銀行を共同で設立することを合意したという。

その内容とは

「auの携帯電話番号を使った振り込みや、携帯電話から即座に口座開設ができるサービスをはじめ、ショッピングやオークション向けの決済サービス、ファイナンスサービス、携帯電話を通帳として利用できるサービス」など

だそう。

おーこれは便利だー。使ってるケータイ、銀行共にそれだし、実際そういう機能があるとわざわ銀行行かなくても楽。

最低限、通帳として使えるってのが最高。

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評価すべきJR西日本の教訓

JR西日本の宝塚線の脱線事故から丸1年が経った。その脱線事故の捜査が終わり、車体が戻れば保存する施設を作る予定だという。

これはとても評価するべきだと思う。

かつてのナチス・ドイツも数々の政治的外交的犯罪を犯してきた。そして、今はその犯罪を現在、未来につなぐためにユダヤ人を虐殺した施設を残し、若いドイツ人の世代に伝えていく努力をしている。

この効果が出てきたのは遅くはなかった。

これによって各国、特に欧州全体のドイツに対する不安や怒りが解消されたのでは。そしてEC連合、EU連合加盟や東西ドイツの統一といったことにも、少なからずとも関係してきていると思う。

つまり、失敗を教訓としている、という意味ではドイツもJR西日本も、やっていることは同じである。この事故を機に、JR西日本だけでなく他の鉄道会社もネクタイを締めなおす良い契機になったのではないだろうか。

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2006年4月29日 (土曜日)

批判に対して

努力しないくせに「格差」を訴える愚か者を見た友達から、非難の声があった。

「これは極論だ。国民を突き放している政府があるべきではない。本来は社会的に立場の弱いものに対して、最低限の保障を与えるべきが政府で、つまり国民を守る立場にあるのが、政府だ。それなのに「格差」があるのはしょうがない、といった考えは本来の政府があるべき姿ではない」

と反論された。

確かに、それは一人の意見として聞き入れるべき価値のある考え方で、言いたいこともわからないわけでもない。しかし、「保障制度」というのは、意外と線引きが難しいものである。例えば、政府がある条件に当てはまる者たちに「保障制度」を適用したとする。すると、今度はその条件に当てはまらない者が抗議するだろう。「なんで俺たちは適用されないんだ」って。すると、今度はその人たちに当てはまっている条件から漏れる人たちからも抗議がくる。。。

と話していくと、単なるイタチゴッコ、堂々巡りが続くのである。

前項でも言っているように、そんなに誰も彼も「平等」にしたいのなら貴族社会戻せばいい。そうすれば、上位にいるのは王と貴族のみで、他の大衆は「平等」だ。

しかし、そうすれば「権利の保障」が守られていない、というだろう。

ならば、現在のように民主主義社会にすべきだ。そうすれば「権利の保障」が発生するからだ。その代わり、「格差」が生じるのは当然だ。なぜならば権利が平等ならば個々の能力、努力によって「格差」が生じるからである。

すると、今度はその「格差」から生じる「弱者」を保障するように要求する。

といったように、これも議論に堂々巡りが続く。

つまり、何が言いたいのかというと、権利も保障も地位も経済的立場も全て平等である社会は存在し得ないということである。こういう社会を俗に言う「ユートピア」という。

しかし、それはあくまで架空で、実際は何かを得れば、何かが欠け、欠点となる。そういう意味では、この批判した人は「理想主義者」と呼ばれても致し方ないだろう。理想を語るのはけっこうだが、現実を常に見据えなければならない、ということも理解したほうがいいだろう。

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2006年4月28日 (金曜日)

努力しないくせに「格差」を訴える愚か者

今、政界と民間では「格差社会」の是正に取り組むよう、その主張が行き来している。

現代社会において「格差社会」を是正する、ということは「人間は生まれもって平等の権利を所有している」、といった19世紀以降の考え方に反しているというのだろうか。

それとも、現代が18世紀以前の「貴族社会」のようになっているとでも言うのだろうか。

答えは、そのどちらでもない。

前者、「平等の権利」はすでに与えられ、それを民間は十分に行使している。それが民主主義の基礎をなしているのだから。

「貴族社会」の復活についても、それはあり得ない話だ。そもそも「貴族社会」と「民主主義」は相反するものであり、どちらかが廃退すれば、どちらかが繁栄するのだ。

ではなぜ「平等の権利」を持ち、それを享受し行使しているにもかかわらず、「貴族社会」が象徴する格差社会が生まれたのだろうか。

いや、生まれたというよりは、提唱されるようになったのだろうか。

アレクシス・トックヴィルという思想家が言っていたように

「平等であるがゆえ、個々の能力によって格差が生まれる。といったパラドックスを含有しているのが民主主義の特徴の一つだ。」

貴族社会では「少数」の貴族以外の「大多数」はある意味、平等だった。

しかし、民主主義社会になり平等主義が横行するようになると、かえって個々で抜きん出た存在が、よりいっそう目立つ。というような意味だ。

そういった意味で、20世紀後半以降の「格差社会」は当然といえば当然ではないだろうか。

そして個人的な意見としては、精神論になってしまうがそれは、単なる民間人の「甘え」にすぎない。

現代の社会は努力すれば報われる社会になっている。それは個人的に、人生の中で最も苦労し、学ぶことが多かった大学受験でそれを痛感した。

高校で不良みたいなことをやってても、まじめに勉強していなくても関係ない。大学受験のために勉強し、本番で一発パスすれば周囲の評価や環境はガラリと変わる。

そのためには、努力することは不可欠だ。努力なしにステイタスの確保はあり得ない。「格差」をなくすための政策をしたら、かえって日本の社会は形骸化するだろう。競わない社会など、成長する余地がないからだ。

「競争社会」についても様々な批判があるが、そういう甘ったれた考えがあるから「ゆとり教育」などというバカな考えが行きかう。そして、「競争社会」を批判した者が、その社会の対策として生まれた「ゆとり教育」も批判するという、まことに意味不明の反応をしているのも、今の日本人の特徴だ。実に愚かである。

個人的には、「ゆとり教育」は明らかに意味がないと思っている。

日本が成長するためには「競争」しかないのだ。日本に限ったことではなく全世界共通、ライバルやいっしょに競う人がいるから、成長するのだ。

「負けた子が可哀想だから」とかいった理由で運動会の短距離走を廃止する声もあるという。そういう無駄な過保護も手伝って、今の学生、若者は無力で鬱病、引きこもりが多くなっているのではないだろうか。だって、一番にならなくてもいいんだから、努力することもせず「自分の好きなこと」をやっていればいいのである。

「NO.1にならなくてもいい」なんていう歌が数年前に流行ったが、皮肉った意味で、現代の社会を象徴している。ましてや、この歌が圧倒的なヒットを飛ばしたのも、笑いものである。

本当に極端なことを言えば「NO.1にならなくちゃ意味がない」のである。

話がだいぶそれたが、個人的に言いたいことは同じである。

「格差社会を是正すべき」と主張している人は、単に自分が「努力」せず怠けていて、一方で努力をして、その成果がだんだんと現れてきた知人などを見て、あせっているのである。

それがアレクシス・トックヴィルの言う「平等主義」の特徴なのだが、それを恣意的な理由で政府の政策のせいにするのは筋違いもいいところだ。

だって、今まで「逆転」するチャンスがあったにも関わらず、努力することを忘れたくせに、政府のせいにしてまた楽して生きようとしているからだ。

「格差社会」が生まれたのは政府のせいでも、友達のせいでも、育てた親のせいでもない。そういう状況を作ってしまった自分が100%悪いのである。

「格差社会」の是正なんて、今の社会にはまったく必要のないものである。

「弱者」は、自分で気づかない以上、一生「弱者」でいればいいのだ。

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2006年4月27日 (木曜日)

A級戦犯者と小泉首相

今、韓国内と中国内で小泉首相の靖国参拝に対して非難がある。

韓国や中国を苦しめ、歴史的冒涜を犯したA級戦犯者たちが祀られている靖国神社に、日本の指導者が参拝するのはいかがなものか。といったもの。当然、軍国主義・日本が復活するのでは、という懸念もある。

しかし、A級戦犯者が祀られた靖国神社に参拝しているのは、韓国や中国を度外視したりしているのではない。むしろそれらの国は眼中にないのだ。ましてや、軍国主義を復活させようなんて微塵にも思っていないはずだ。

A級戦犯者たちが犯した数々の政治犯罪、外交犯罪は許されるものではない。しかし、彼らの中にも「責任者」「指導者」としての難しさは感じていたのではないだろうか。

小泉首相は現在、言うまでもなく日本の指導者だ。首相も同様、指導者としての難しさを感じているに違いない。国民、野党などが発言するのは簡単だ。もちろん、彼らにも難しさは感じているのだろうが、「指導者」としての難しさは感じられるはずがないのだ。

その点で小泉首相は、A級戦犯者とのある意味での「共通点」を感じているのかもしれない。そういう意味では、首相が靖国神社へ参拝に行き、一般的意味とは違った意味で祀られたA級戦犯者たちに「冥福を祈る」というのは正当な理由ではないだろうか。

個人的には、韓国や中国が騒ぐほど、大きな問題だとは思わない。

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2006年4月25日 (火曜日)

優秀だったJR運転手

皮肉にも、福知山線の脱線事故からちょうど一年の前日に、今度はJR東日本でまたトラブルが。しかも、朝の11時30分くらいから夕方の4時まで止まっていたというんだから、そうとうな影響が出たらしい。32万人だって。

自分もちょうど学校に行く時間とぶつかったが、地下鉄で通学しているため、影響はまったくなかったが、逆に教授が授業に出れないほど。

きょうのニュースを見てみたら、乗客は「またJRか」といったような怒り半分、呆れ半分といった様子。まぁ中にいる乗客はたまったものではない。イライラするのも当然かもしれない。

今の状況からして、被害者は特にそうだが、JRのトラブルやることなすことすべて批判的に捕らえがちだ。しかし、一つの大きな事件がキッカケで、今もこれからもJRすべてを否定するのは間違っている。

今回は大事に到らなかっただけ良かった。むしろ、JRのトラブルを責めるというよりは、最初に異変に気づいた運転手が優秀だったと思う。

去年はスピード超過という重大な異変を起こし、起こるべくして事故が起こったわけだが、今回の運転手は異変にいち早く気づき、事故が起こるのを未然に防いだのだ。もちろん線路の点検などは定期的に行い、乗客の安全を守ることはJRの義務だ。しかし、その中でもエアポケットというものがあり、年に数回、必ず何らかの理由でストップせざるを得ないのは致し方ないことだと思う。

ちょっと感情的な意見になってしまうけど、乗客は仕事や学校で急いでてイライラするのはわかるが、JRの職員だって遅らせたくて遅らせてるわけではないし、何事だって思い通りに行かないことがある。それに対して乗客は「対応が悪い」「説明不十分」としてイライラするのではなく、運行業者は安全第一を念頭に置き、できるだけ早く目的地に着くことは二の次である、ということを理解しなければならないと思う。

さっきも言ったけど、JRは遅らせたくて遅らせてるわけではない。できるだけ安全な速度と方法で目的地へ向かっている。できるだけ早く目的地につくよう、範疇を超えた速度で運行していたら、脱線事故は後を絶たないだろう。

「乗客の安全」が第一であるため、緊急停車したりしている。「仕事に遅れる」といった理由で、多少のイライラはあるかもしれないが、JR側の理由も理解するべきだと思う。

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冷静になって

日韓の竹島問題、EEZ問題について。

EEZとは、排他的経済水域のことで、自国から200海里以内なら他国の同意を得ずして海底の調査・管理などを自由に行える権利の事を言う。

今回、日本がこの日本海・竹島沖中心に調査を進めようとしているのは、ドイツで国際会議があり、そのための布石や準備をするためだ。日本側は当然、自国の範囲内を調査する予定で、それは当たり前だとしていた。

しかし、韓国はそこに猛反発。

ノ・ムヒョン大統領は1875年の江華島条約も、日本はそのような理由をつけて結局韓国併合のための足がかりを作ったこと、1905年にも竹島が日本国に強制編入させたことなどと同じで、日本は今回の調査で過去の韓国に対する冒涜を繰り返している、と主張している。

確かに過去の歴史から考えるに、竹島周辺に介入するなら多少なりとも韓国に気を遣うことは考えなければ、特に靖国問題などで緊迫している日韓関係だけあって、今後の国交に影響を及ぼすかもしれない。

しかし、韓国側も冷静になって考えて欲しい。

21世紀になった今さら、19世紀の江華島条約と関連付けて行動しているはずがないし、そういう考えは「時代遅れ」と言われても致し方ないのでは。

最初に述べたように、国際会議に参加するために必要な調査として日本は行動している。韓国に対して何か仕掛けようとか、そういう考えは言語道断だ。

朝日新聞によると、かつては韓国も同じ調査を進め、日本から抗議を受けていたという。韓国には韓国の言い分があるし、日本にもまた然り。

韓国はそういう意味で、いろいろな意味で理解し、妥協することが必要だ。また、歴史的な背景があるとはいえ、あまりにも感情的になりすぎているのでは。

韓国も、日本も少し冷静になって考えるべきだ。特に今は北朝鮮の拉致問題で手を組むときは手を組まなければならない時期だ。拉致被害者の家族が「拉致問題について、日本と韓国が協力し合って解決」するためには、ちょっと状況が厳しくなりそうな気がした。

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2006年2月 3日 (金曜日)

ホリエモンとヒューザー

交換の社会学―G・C・ホーマンズの社会行動学論 Book 交換の社会学―G・C・ホーマンズの社会行動学論

著者:橋本 茂
販売元:世界思想社
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ホリエモンが逮捕された

というニュースが全国を駆け巡った。

新聞を見てても経済のところは意味不明なので、何が起こったのかわからないが、つまり

「ライブドアの株を上げるために、ウソの情報を流した」ということらしい。

でもなぁ。

そんなことはどうでもいいじゃん、て思う。

だって、自分たちの株を上げたいのはどこも同じであって、ウソの情報を流すことと、自分たちを過大に見せることは紙一重じゃないのかな、って思います。

確かに違法である限り逮捕されるのは当然だと思うけど、「どうでもいいじゃん」と思ったのは、ヒューザーの問題のが早急に対応するべき問題だと思ったからです。

ホリエモンのやっていることはマネーゲーム。

学生や一般庶民にとっては縁のないこと(ですよね?)

ただヒューザーの問題は一般庶民に関わる問題です。

「ホリエモン逮捕」という看板を盾に、ヒューザーを隠したんじゃないのかな、って思います。

フジテレビの日枝さんも、ホリエモンが逮捕されたことを良いことにボロクソいったりしてますよね。田原総一郎や民主党はほくそ笑んでいることでしょう。

なにかと批判されることが多いホリエモンですが、個人的には好きなんですけどねぇ。

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