小学生のとき、少年サッカークラブに入団していました。
そのチームは当時浦安市内に住んでいた小学生中心に結成されていて、毎週火曜日と木曜日に夕方5時くらいから約1時間30分の練習をこなしていました。
そんなチームの監督をやっていた人の名前(別人)をヒョンナことから見て、そのサッカークラブのことを思い出しました。
今は10年前よりも発達した時代になり、グーグルという検索サイトで一発で出てきます。
懐かしい。
92年まで鹿島アントラーズのDFとしてプレーってあるから、100%本物である。
当時はそこまで思うことは少なかったけど、ジーコをはじめ、トップレベルの選手とプレーしたことだけでなく、プロになること自体大した実力です。
確かに実際プレーを見ると全然ボール取れなかったし、フェイントをかけても引っかからないし、巧くいかないなぁと思っていただけ、っていうのが幸せなのか不幸なのかはわかりませんが。
今思うと、もっと学べることはあったし、学んだなぁ、と今になって思うことがあります。
小学5年のとき、鹿島まで遠征に行きました。
もちろん、目的は鹿島アントラーズのJrユースと対戦するため。
週に2回の練習だけでなく、同じ学校のチームメイトとは、空いてる時間を見つけて校庭でサッカーをして遊んでいた僕たちは、なんとかやれるだろう、という気持ちが少なからずともありました。
バスで移動し、ホテルに到着、少しボールに触れるといよいよ待ちに待った鹿島Jrユースとの試合です。
僕は4-4-2の左攻撃的MFに入りました。
試合開始30秒。
いきなり僕の左サイドを破られ、クロス、そして中央で競り負け、ヘディングシュートで失点。
いきなり度肝を抜かれたのを覚えています。
小学生でこんな速くて、正確なドリブル、そして質の高いクロスを上げれるものかと。
僕たちも反撃に出ますが、守備的MFに入っていた、ウチのチームで最も技術的に優れている選手が何もできない状態。僕も左サイドで何度か突破しましたが、シュートはすべてコースをふさがれ、キーパーにはじかれます。
結局、何もできないまま試合終了。
0-7の大敗でした。
翌年、再び鹿島Jrユースと対戦する機会が訪れました。
恐らく、あの試合から普通に過ごしていたらこの対戦はなかったでしょう。
なぜなら、僕たちが強く再戦を懇願したからです。
あの試合から変わった気がします。
練習ひとつにしても100%を出す。
ダッシュ1つでも全力。
パス一本も正確に。
こういう意識改革がありました。
今思うと、監督は0-7で敗れることは予想済みだったのかもしれません。
いや、0-7は出来すぎだった、とも思ってるかも。
とにかく、二桁で負けようが今の実力を把握し、刺激を受け、そして練習態度からの意識改革を期待していたのでしょう。そしてそれに巧く乗せられた、まだ素直な僕たち。
再戦の直前、当然のごとく今日も中盤の左サイドとして出場するだろうと踏んでいた僕に監督が声をかけてきました。
「お前、今日は相手の9番にマンマークでつけ。絶対前を向かせるなよ。ボールがどこにあろうと、あの9番から目を離すな」
センターバックはやったことがある。
でも、まだ数回で経験が浅い僕は、その監督の指示に忠実に従うしかありませんでした。
今思うと、これも監督に乗せられた形になっていたのかもしれません。
前回の対戦では、ポジションを決める以外に監督らしい具体的な指示は出さなかった気がします。
それが、今回は違う。
ここからも、今回は絶対に勝ってやろうという監督の気合が伝わってきました。
試合が始まりました。
前回の対戦で4、5点を叩き込まれた9番の選手にマンマークにつきます。
さすがに動き出しの速さ、懐の深さ、そして何よりボールキープをする身体の使い方が半端なく巧い。
背中を向かれてキープされると、どうしてもボールを奪えない。
ただ、今回は開始30秒でやられることはありませんでした。
9番が背中を向けてボールをキープしているときも、見方の選手はほぼ相手にマンマークでつき、パスコースを塞いでいました。
そしてとにかく気をつけたのが、立ち上がり。
この部分だけしっかりと意識をして臨んでいたため、その責任感は11人全員に浸透していたと思います。
試合が落ち着いた頃、ゴールネットが揺れます。
得点を取ったのはなんと自分たち。
鹿島の9番が右サイドで前を向いて勝負してきました。
スピードだけは殺そうと思いながらも、相手がいよいよ仕掛けてきてきます。
左にフェイントをかけ、右に抜け出ようとしたとき後方から見方が援護がきたのが見えました。
前から僕が、そして後ろから味方が挟み込むような形でボールを奪取。
そして速攻。
前回の対戦で7-0というスコアだけあり、前がかりに来ている鹿島Jrユースの背後を突きました。
俊足のエースが個人技で1人かわし、得点しました。
現代風に言う「ボールを奪ったら手数をかけずにゴールまで」という流れるような得点シーンだったのを覚えています。
試合中「まさかこのまま1-0で逃げ切れるのでは」と思った瞬間、相手の猛攻が始まります。
前回7点差をつけて勝ったチーム相手に、今度は0-1で負けるなんてプライドが許すはずがありません。
はっきり言って、1-0になった瞬間から相手の猛攻を受けたことは覚えていますが、具体的に自分がどういうプレーをしたのか覚えていません。
ある記憶が、1-0で勝利した、と言う事実のみ。
0-7で負けたチーム相手に、再戦で1-0で勝った、というのは大きな自身になりました。
今思うと、この監督は
ボロ負け→意識改革→再戦→勝利→自身→中学入学
という流れを見事に作り上げていたんだなぁと思いました。
残念ながらサッカーは中学で辞めてしまいましたが、あの鹿島遠征と、僕たちの監督は10年経っても未だに鮮明に覚えています。
その監督は自分のことを覚えているのだろうか。
今度、連絡先がわかったら鹿島遠征の話をして、その真偽を知りたいですね。
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